氏は10月11日に行われた「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」のシンポジウムでパネリストの一人だ。
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「生き物」としての東京を取り戻す/宮台真司
新国立競技場建設案を問題視する槇文彦氏は、六〇年代にヒルサイドテラスの設計を通じて東京・代官山の礎を与えた建築家だ。近隣に住む私は代官山の街づくりをめぐる活動に関わるが、この地が「匂いのある街」なのは氏の環境倫理学的な直観に負う。直観を学問的に補完してみよう。
日本人に縁の薄い環境倫理学は、生き物も快苦を感じるから苦痛を最小化せよと唱えるピーター・シンガーの〈功利論〉から、生き物も人と同じ道徳的義務の対象に数えよと唱えるトム・レーガンの〈義務論〉を経て、これらでは環境の一部しか最適化できないとするベアード・キャリコットの〈全体論〉へと展開した。
日本の京都学派の影響を自認するキャリコットは、場所全体を一つの生き物だとみる。人は、動植物や岩石や河川と同じく、「場所」という生き物の単なる部品。生き物としての場所にとって自然なら、開発はOKだが、不自然なら開発はNGだ。問題は自然/不自然の弁別だが、「生き物としての場所の歴史を参照せよ」と彼は言う。
人にとって時の刻みは小さく、場所という生き物にとって時の刻みは大きい。人のニーズで開発すれば、生き物としての場所が壊れ、かえって人の尊厳が失われる。尊厳が生き物としての場所と結びついているからだ。
同じ理屈が代官山で使われた。江戸の職人街だった「七曲がり」に巨木がある。日照や落ち葉を理由に住民が切り倒しを要求した。街づくりに熱心な人々が、代官山が一つの生き物で、その生き物にとって巨木が不可欠と説いた。その結果、住民たちのニーズは取り下げられた。キャリコットは「人の尊厳」を目標とし、「尊厳を支える気付きにくい条件」に注意を促す。「尊厳を支える気付きにくい条件」への理解と、「生き物としての場所性」への理解は表裏一体だ。双方を理解した人は、その場所の価値を総合的に評価し、ニーズを取り下げる。
そうした理解はどうしたらもたらせるか。私見では〈民主主義〉しかない。日本では民主主義が多数決だと誤解されるが、民主主義の本質は〈参加〉と〈包摂〉。〈参加〉とは〈フィクションの繭破り〉で、〈包摂〉とは〈地域共同体の分断克服〉だ。
日本の原発政策は、日本だけの馬鹿げた神話―絶対安全神話・全量再処理神話・最安価神話―に支えられてきた。日本の政治文化が「任せて文句を言う」だけで、「引き受けて考える」という〈参加〉の作法を欠くからだ。
他方、地方を補助金漬けにする巨大公共事業や原発の立地は、自立した経済圏を不可能にするような「地域共同体の分断」が、例外なく背景にある。こうした背景を手当てする〈包摂〉を欠いては、巨大公共事業や原発の立地に抗えない。
単なる「べき論」を超えて〈参加〉と〈包摂〉を調達すべく、私は原発都民投票条例制定を求める直接請求の請求代表人となり、各地の住民投票運動に関わってきた。住民投票は、政策の人気投票ではない。その核心は、投票に先立つ公開討論会とワークショップにある。
具体的には、第一に、適切な手続きに支えられたこれらの熟議を通じて、官僚お手盛
りの審議会制度がもたらす〈フィクションの繭〉を破る。第二に、熟議による協同的な気づきの達成を通じ、〈地域共同体の分断〉による誤解と偏見を克服して「我々」を回復する。
新国立競技場にも当てはまる。集客や安全や管理コストを巡る〈フィクションの繭〉を、〈参加〉で破る。人ごとやオカミ任せをもたらす〈地域共同体の分断〉を、〈包摂〉で超える。そのための熟議を開始する。
そうすれば、オリンピックを奇貨とし、東京という「生き物としての場所」を、そしてそれに支えられた東京都民という「我々」を、回復できる。新国立競技場の建設問題を通じて「東京を取り戻す」のだ。これはチャンスだ。
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