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27 7月, 2019

谷口吉生による「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」・「清らかな意匠 –金沢が育んだ建築家・谷口吉郎の世界–」展

谷口吉生(谷口建築設計研究所)による「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」、開館記念特別展「清らかな意匠 —金沢が育んだ建築家・谷口吉郎の世界—」のプレス内覧会へ。
場所は金沢駅から車で15分程。
日本初の建築・都市についてのミュージアムとして、金沢市名誉市民第一号である谷口吉郎の住居跡地に、吉郎の長男・谷口吉生の設計により建設された。展覧会をはじめ、講座や建築ツアーなどさまざまな活動を通じて、金沢から世界へ建築文化の発信拠点を目指す金沢市の施設となる。


延べ床面積1,570m2。RC造+一部S造、地下1階、地上2階建て。
吉生はこの地に建っていた家では育っていないが、戦争中に疎開で一時暮らしたことがあるという。父吉郎は生前、この土地を金沢市に寄付し、金沢の文化の為に役立てたいと息子吉生に伝えていたそうだ。


古い木造の住宅や寺の多い風致地区において、低い軒をもつエントランスから、鉄骨造にガラス張り(線の細いステンレスのルーバー)のアトリウムで街に開き、RC造の本体は柔らかな色の石を張り街並みに調和するように配慮した。


吉郎の名作、迎賓館赤坂離宮 和風別館「游心亭」の広間と茶室が忠実に再現されていると聞くが、このモダン建築にどのように表現されているだろうか。






アトリウム。2層吹き抜けの光溢れる空間。受付、ミュージアムショップ、カフェ、ロッカーへと続く。


受付から左にホール。積層する地下1階と、2階を同時に見ることができる。地下は企画展示室で、2階は常設展示室だ。
ホールでは館の説明や、金沢市の歴史建造物や景観保護への取り組みなどが紹介される。金沢市の財産の一つは、数百年に渡って保存されてきた歴史的景観と、それらに配慮しながら計画されてきた近代・現代建築だ。


この住宅兼店舗は、建築館の近くで筆者が偶然見掛けたものだが、貼り紙に「この地区は国選定の寺町台伝統的建造物群保存地区です。この現場では金沢市伝統的建造物群保存地区保存整備事業補助金を利用し、工事を実施しています。」とあった。


建物ごとジャッキアップし、傷んだ基礎を新しくする工事を行っていた。このように景観保護のために建物を維持する支援を行政が行っていることを目の当たりにすることができた。


ホールにはスリット状のトップライトから光が落ちてくる。階段は蹴込みが低く、ゆったりとした傾斜となっている。右の白い壁は漆喰で仕上げられている。


企画展示室。最初の展覧会は「清らかな意匠 —金沢が育んだ建築家・谷口吉郎の世界—」。
展覧会概要:金沢が生んだ近代日本を代表する建築家であり、金沢市名誉市民第一号となった谷口吉郎氏の作品を紹介します。氏は九谷焼の窯元の家に生まれ、第四高等学校卒業まで金沢で過ごしました。 「清らかな意匠」と形容される端正な建築や「博物館明治村」の創設などの文化貢献で、昭和48(1973)年に文化勲章を受賞しています。
また氏は文筆家としても知られ、生まれ育った町金沢についてさまざまな著作のなかで語っています。開館を記念する特別展では、このような谷口吉郎氏の主要な建築作品と著作との関わりを取り上げ展示します。


サンクンガーデンを望む企画展示室1。企画によってはサンクンガーデンでも展示されることがあるだろう。


吉郎の卒業設計図や、執筆原稿。本館では金沢市に寄贈された吉郎・吉生の資料を中心に建築アーカイブズの構築を目指していく。


石川県で手掛けた建築を紹介。〈石川県繊維会館〉1952、〈石川県美術館〉1959。


企画展示室2はホワイトキューブ。


本展の監修は建築史家 藤岡洋保(東京工業大学名誉教授)。吉郎の建築家としての活動を、1931〜1938、1939〜1959、1960〜1979と大きく3期に分け、 "清らかな意匠" が完成する課程を紹介する。


27歳の時の処女作〈東京工業大学水力実験室〉にはじまり、1960年〈東宮御所(現 赤坂御所)の設計により "清らかな意匠" の完成を見て、〈ホテルオークラ〉1962、〈帝国劇場〉1966 、〈迎賓館赤坂離宮 和風別館〉1974へと繋がっていく。


模型も幾つか展示されているので紹介。
〈藤村記念堂〉1947(所蔵:金沢ふるさと偉人館)
30年代モダニズム建築を手掛けてきて、戦後初めて手掛けたプロジェクト。物がない時代に大工や村人と一緒になって工事した。「これは父がモダンな建築家から和風の建築化へ変わる転機となった作品。」と吉生さん。


〈秩父セメント第二工場〉1956(所蔵:金沢ふるさと偉人館)


〈帝国劇場〉1966(所蔵:金沢市)


〈東京国立近代美術館〉1969(所蔵:金沢市)


2階に上がると常設展示室。1度ここで腰を下ろし休憩したり、トイレにいくのもいいだろう。
ここまでは谷口吉生の空間。そして乳白色の自動ドアの向こうは谷口吉郎の空間だ。


迎賓館赤坂離宮 和風別館〈游心亭 広間〉
寸分違わず再現された游心亭。吉生さんは「特にこの建築が父の設計のプロポーションや素材、考え方が一番表現されている。」と話す。
国賓を招く場としてサミットでの各国元首や、チャールズ皇太子・ダイアナ妃、最近ではトランプ大統領も訪れ、軒先から鯉にエサをやるシーンなどでお馴染みだ。


実物の広縁の床はカーペット敷きで、構造である柱が左に並ぶが省略されている。柱梁、天井、壁の材は同じもので、昇降式のテーブル、天板の材まで再現されている。特筆すべきは、当時内装を担当した水澤工務店に、実物の縁台に使われたクス材がストックされているが発見され、その材が今回ここに使われていることだ。もちろん今回も内装は水澤工務店が担当した。


池に見立てた水庭。実物は奥に日本庭園が広がる。ここは犀川を望む急峻な段丘であるため、ここならではの表現としている。


平天井と傾斜天井が特徴だ。また繊細な棹縁が連続し美しい。


手前の書院、左の床の間も再現。そして床の間の絵画も撮影され、プリントしたもので再現している。




迎賓館赤坂離宮 和風別館〈游心亭 茶室〉
小間に4畳半の畳席と、2辺に外国からの来賓に対応した椅子席で構成。小間を能舞台のように設え、点前を椅子席から観賞しながら茶を楽しむことができる。
広間と茶室は壁や障子も含め空間そのものが展示物であるため触ることはできないが、茶室の椅子席だけは "展示物" に座っても大丈夫だ。


広間と同じく、平天井と傾斜天井の組合せ。手の込んだ編み込みの網代天井も確認できる。


細い畳帯。掛け軸はこちらもプリントで再現している。床板や床柱もできる限り実物の木目に近い物を選んで設えた。


茶室を出ると元のアトリウム、そして吉生の空間に戻る。


ミュージアムは金沢の中心を流れる犀川が作った河岸段丘の上にある。犀川沿いの遊歩道を散策しながら訪れることもできる。


擁壁を兼ねた階段はミュージアムへのアプローチであり、地域の生活動線としても開放する。手前にはレンタルサイクルのステーションを設置する計画もあるそうだ。


谷口吉生さん。「建築のテーマとして難しかったのは、私と父の建築は違うので、どこで分け、どのようにまとめるかというところでした。ミュージアムですので、父の作品を切り取ることができる額縁のようになるように設計しました。私の建築はいつもそうですが、可能な限り単純化し、街並みに貢献する、通りが明るくなるようラウンジを正面に設けました。広間や茶室は実寸台で再現することにより父が設計した空間のバランスがよく分かると思います。」


【清らかな意匠 —金沢が育んだ建築家・谷口吉郎の世界—】
会期:2019年7月26日〜2020年1月19日
会場:谷口吉郎・吉生記念金沢建築館

【谷口吉郎・吉生記念金沢建築館】
設計・監理:谷口建築設計研究所
施工:清水建設・豊蔵組・双建JV
内装(游心亭):水澤工務店


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16 7月, 2019

CAtによる宮城県「山元町役場庁舎」

小嶋一浩+赤松佳珠子+大村真也/CAt(シーラカンスアンドアソシエイツ)による宮城県の「山元町役場庁舎」を見学。
2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県山元町役場庁舎の建て替えで、2015年のプロポーザルによりCAtが設計者として選ばれ、2019年5月に開庁を迎えた。


敷地面積11,221m2、建築面積2,711m2、延床面積4,226m2。S造、地上2階建て。
敷地周辺には中央公民館や歴史民俗資料館など地域の公共施設があり、かつ多方向からアクセスできるため正面を感じさせない 丸みを帯びた形をしている。


山元町は宮城県の太平洋側南端の町。海辺(東)から広がる低地、そして山林(西)と大きく異なる環境に分かれており、そのちょうど中間地点に役場はある。


津波は最大で高さ13m、海岸から3.5km内陸まで達し、町域の4割に当たる24km2が浸水。2200棟以上の家屋が全壊、637名の犠牲者を出した。


海岸から1.2km程離れた場所にあり津波で破壊されたかつての町の中心地、JR常磐線山下駅。左のRC造のトイレは無事であったため今でも使用可能。
この山下駅の上下区間は海岸に近いことから、10数kmに渡って1km程内陸に高架化移設されたため、長大な空き地が遙か先まで続いている。
これらは防災集団移転促進事業の一環で進められており、ほかに災害公営住宅整備事業、区画整理事業など多くの国の助成を受けながら町の復興が進められている。


海辺から僅か400m程しか離れていなかった「山元町立山下第二小学校」は内陸の、町の新住宅整備区画に移転。プロポーザルによって選ばれた佐藤総合計画とSUEP.による設計で2016年に完成している。


同じ区画で隣接する「山元町こどもセンター」も佐藤総合計画とSUEP.による。


山下駅、小学校・子どもセンター・保育所・公園、住宅整備区画を内陸側に集約。駅前から高台にある役場まで新しく道路を整備し人と賑わいを結び、且ついつ襲ってくるとも知れない津波から避難を容易にする構想だ。


インフラ、住宅、学校、面整備などの事業が一通り済み、ほぼ最後に整備されるのが役場だ。山元町役場は台地にあるため津波の被害はなかったが、地震による躯体への被害から解体され、長らくプレハブの仮庁舎で業務を行ってきた。


はす向かいに完成した今回の新庁舎。建物には2層とも軒下空間がぐるりと回っているのが特徴だ。
左側はバスが軒下まで横付けできるバス停。


軒天井は杉の羽目板張り。軒下を通っていくと東の芝生広場に通じる。軒下や広場での活動が通りへと広がり、町の賑わいの中心となっていくだろう。


メインエントランス(エントランスは3ヶ所ある)。冬場は西側の山から冷たい風が吹き下ろすことから、エントランスの形状は流体シミュレーションを掛けながら検討し、東側から鋭角に回り込むようなフォルムの風除室を持つものとした。
「計画中に開催された地域住民とのワークショップでは、風や雪のことなど、住民ならではの貴重な意見を多く得られた。」と大村さん。手前・奥の自動ドアが同時に開いているタイミングを減らしたり、足元の雪が落ちる空間にするために大きな風除室となっているのだ。


エントランスを抜けると二層吹き抜け空間であるロビーへ。北向きのハイサイドライトと周囲の軒下から柔らかな光がたっぷりと注ぎ込む。
正面が大会議室、左に執務スペースや窓口、奥にはもう一つのロビーや町民スペースと続く。


大会議室。会議の他、イベントなどにも利用でき、正面の両開き戸から軒下空間に開放できる。
カーテンデザインは安東陽子が担当した。


1階執務室は大きくAとBに分かれており、各窓口カウンターのパーティションも遠くからでも見やすいデザインと配置になっている。サインなどのグラフィックデザインは、山野英之(高い山)が担当した。


鉄骨×ブレースと設備用のシャフトが納まるスモール・コアは様々な素材で仕上げられている。仕上げは1・2階を垂直に連続させ、一つのアングルから同じ素材が重なって見えないようにすることで、水平方向に奥行きを感じさせる効果を狙っている。


パンチングメタルのスモール・コアには熱交換用のダクトが納まる。冬場は太陽熱で温められた空気が床下へ導かれ、下から暖気を巡らせる。夏場はハイサイドから重力換気によって熱気を排出する。
4ヶ所の大きな吹き抜けから注ぐ自然光によって、照明の電気代削減にも貢献する。


1階は執務スペース以外の約半分は、町民のための共用部と言っても過言ではない程ゆったりしている。


ワークショップ等の意見交換により、キッチンカウンターのあるカフェスペースのような、フレキシブルなスペースも設けられた。山元町が抱える、復興、人口減少、少子高齢化など様々な問題に対して、行政と住民の垣根を出来るだけ取り払い、開かれた街づくりを進めていくための交流拠点となる場を目指しているようだ。


家具は藤森泰司が担当した。役場のベンチにありがちな一方向を向いて並ぶものは避け、開放的で広場のようなロビーに合わせるように、正面のない柔らかなデザインのベンチとした。


キッズスペース一体のベンチも。


藤森泰司さん。「役場の家具でメインとなるのは窓口カウンターですので、まずはそのデザインからはじめ、他の家具へ展開していきました。家具には色々な素材を使い、人と建築をグラデーションで繋げられるような存在としました。」




階段には製作したスチール製(溶融亜鉛メッキ)のグレーチング状手摺。


吹き抜けの手摺にも使われており、気流や光の透過、人の気配を妨げずに、深い角度では目隠しとなるように配慮されている。


2階は1/4が執務スペースや窓口とロビーで、その他は議場を中心として町長室、応接室、会議室など複数の室をテラスに面して配置。


2階の軒下は一周テラスになっており、職員や議員の休憩スペースであったり、一部町民にも開放している。
所々プランターとツル植物が巻き付くワイヤーが設置されており、徐々に緑に覆われていくだろう。


天井に使われている板状のルーバーはSwoodのストランドボードで、最近のシーラカンス作品に出番が多いとか。
ルーバーの隙間からハイサイドライトが覗いているが、ルーバーにより光源が曖昧で自然な明るさになっている。




議場は議員からの要望で、以前と同じ赤を基調とした重厚な雰囲気に。右手議長席の背後はプリーツのように織られたファブリックで、周囲の赤い壁はグラデーションのファブリックが使われており、いずれも安東陽子が担当した。


左から小野田泰明さん、赤松佳珠子さん、安東陽子さん。
東北大学の教授である小野田さんは、山元町のアドバイザーとして町の将来計画に長く携わっており、前出の山元町立山下第二小学校・子どもセンターや、本件のプロポーザルなども立案した。
安東陽子さんは「議場の壁のファブリックは濃い赤のボルドーからグレーを帯びたベージュのグラデーションに染め、天井のルーバーから腰壁までが美しく連続するようにしながら上昇感が得られるような印象にしました。」と話す。
当日スタッフや関係者が身につけていたネクタイやリボンは、今回使われたファブリックの余りを利用して安東さんからプレゼントされたものだ。


左から担当として現場に常駐していた和泉有祐さん、赤松佳珠子さん、本年よりCAtのパートナーとなった大村真也さん。
「海と山をつなぎ、人と人をつなぐ要となるタウンホールです。光溢れる屋内広場を目指し、役場と言うより気軽に立ち寄ってもらえる場所、何かがはじめられる場所として、住民、職員、議員が一緒になって活用していっていただけるように設計しました。」と赤松さん。

【山元町役場庁舎】
設計・監理:CAt
構造設計:オーク構造設計
施工:加賀田組
空調・衛生設備:三建設備
電気設備:ユアテック


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